僕にとってのインライン

インライン黎明期から、25年・・・


●1977年秋、初めて見るそれ・・・。
●1977年秋、これはどこで滑る・・?
●1977晩秋・・禁止令・・
●1978年秋〜1979氷上引退・・そして・・
●1999年 再開へ・・

1977年 9月
中学校のスケート部に、オフシーズントレーニング用の画期的なモノが導入されました。
「ローラースケート」。


それまでローラースケートといえば、4輪並列ローラー、「東京ボンバーズ」・・・
アイススケートとはかけ離れたものでした。

(写真は5輪のものです。これしか現存していないので・・
 おまけにタイヤ・・ウィルは黒でした・・・)


初めて目にしたそれは、スピードスケート靴に「そのまんま」ローラーを縦に
くっつけたモノ・・・。
タイヤは細くなり縦一列に並び、1.5mmほどの鉄のフレームで支えられている・・・



靴はスケート靴とほぼ同じであるが、皮は厚く、靴底は3mmもある・・・。
しかも、無理やりボルトでトめてある。



皆、ワイワイガヤガヤ・・恐る恐る履いてみる・・。

靴の位置が少し高いが、滑り出しは好調。

しかし、蹴り足が「流れる」のだ。氷上の場合はエッジのさきっちょ
まで踏ん張りが効くが、それと比較してカクンとヌける感じ。

コーナーだとなおさら。踏ん張りが効かないため4っつのローラー
全てで路面を抑えないといけない・・・
片足に体重をかけたときのバランスが氷上のものとはあきらかに違う。
指向性というか方向性というか・・微妙に「直進性」がある。
アスファルトのゴツゴツの振動がモロに伝わる・・・シビれる・・・

氷上のものとはあきらかに違う・・・。

しかし・・これは・・楽しい!!!



今まで「氷」の上でしか、体験できなかったスピード感が、とりあえず
アスファルトなら「滑れる」。
そりゃぁ全て氷上のようにはいかないが、寒くないし、お手軽!!

それからというもの、他後の部活・・氷上ではなく陸トレは、中学敷地内の
アスファルトの部分を使って滑走。
校門から職員室、昇降口の前まで。
わずか80m程度。その間を行ったりきたり。
下校中の生徒の冷たい視線を浴びつつ「滑る」のだ。



監督は考えた・・・
隣接する町立体育館の駐車場を使う!!

平日の夕方は車は少なく、トレーニングには最適。
長い距離が滑れる。

しかし・・坂がキツい・・・。
しかもアスファルトの凹凸で、足がしびれる。
長時間の滑走は不可能。




監督は考えた。 体育館でトレーニングを開始した。
バスケ部が練習終了後、30〜40分体育館で滑ることになった。
これは快適!!!
振動はなく、グリップも効く!
スピードも出る!!!
さすがに壁に激突する人はいなかったが、常にコーナーリングの状態。
当時はなかった「ショートトラック」のようだ。
外ではないので寒風にさらされることもなく非常に快適!!!
しかし、ほどなくまた外へ追いやられることになる。

当時のタイヤ(今で言うウィール)は軟質の黒いゴムでできていた。
それの跡が体育館の床にくっきり残り、少し擦っただけでは取れないのだ・・・

またアスファルトへ逆戻り・・





監督は考えた・・・
練習時間を増やしたい・・・・。

日曜日などに、家の側に練習できるところがある場合は
もって帰ってよし!
ローラースケート靴は「学校のもの・・」。あくまで貸し出し。
しかし、またまた事件は起こった・・・。


それを履いて下校した部員がいたのだ!!!。
やったのは"S"と"Y"。

確かにやりたくなる・・・楽だし。

翌朝担任の中村先生に、同じクラスのミチノリといっしょに
「おまえたちはやってないだろな?」と、聞かれた。
ぼくはどうどうと「やってません」と答えた。
ホントは「できなかった」のだ。

下校の道が舗装されていなかったからだ・・。
ミチノリは家が近かったし、通学路は国道の歩道なのだがデコボコ。
トレーニングするなら学校へ行ってやる・・というクチだったからだ。

これで「持ち帰り禁止」になると思いきや、そこは柔軟だった。
即刻「通学では絶対に使うな!!」という命令で終わった。

僕はといえば、家の南側に農道があり、それがそのころちょうど舗装され
たばかりだったので練習しほうだいだった。
しかしそれは練習というよりスピード感を味わう・・・
遊びに近い感があったのは確かだ。


冬、小学生のころ、家の前の水田の持ち主が水をはってくれており
ヒマがあれば、凍った田んぼの雪を掃き、リンクを作り、スケートを楽しんだ。
それが夏でも時を選ばずできるようになったことは、少しうれしかった。
(当然シーズンが始まると地獄のようなトレーニングが待っていたが・・)




1978年・・・
長い冬のシーズンには当然氷上に乗る。1年生のときはまったく鳴かず飛ばず・・・
夏は剣道、陸上、農作業の傍ら、農道ではローラースケート。


そして2年生の秋・・・・



ローラースケートが「バージョンアップ」したのだ!!
タイヤは「緑色」の硬質なゴムになり、体育館でも乗れるようになった。
しかも5輪!!!!



この5輪・・スピードスケーターにとっては非常に大きい意味を持つ。
スケートのエッジは、氷面に全面が接しているのではなく、
微妙に中心を頂点にカーブ状になっている。
5輪であれば、これに近い形を実現できる。


確かに微妙に直進性のあった部分は解消されている。
農道でも、体育館も乗れる。これまた「楽しい!!!!」


1979 「暇だなぁ・・・」と思うときにはいつでもノれる環境ができていた。

3年の秋にはアイススケート靴に、そのままローラーを付け替えた、靴の皮が
薄いタイプまで登場。

ぼくはといえば、本業のアイススケートは3年の冬、やっと、県大会で6位になった。
(予選までは3位だったんだけど、決勝で負け・・・少しくやしい・・・)

当時は「全日本中学大会」は1位くらいまでしか行けなかったか大会自体なかったか・・・
とにかくミチノリが「おい!今年から全国大会があるらしいぞ!!」などといって
燃えていた記憶がある。
そして氷上引退。

1977〜1979 長野県北佐久郡軽井沢町 軽井沢中学校 スケート部での出来事だった。



高校では、陸上部で、「冬季トレーニングにアイススケートを・・・」
と、監督に言ったら、 「じゃ、スケートだけやってろ!!」 と怒られた。 氷上には1シーズンに1,2回乗るだけ。 しかし、アソビ感覚のインラインは・・・思い立ったらやっていた。




1998年
月日は流れて、20年あまり・・・。
あの極寒の極限状態も忘れ去り、いい思い出となってきた98年・・
運動不足のためブクブク肥えたこの体に、なにか良い運動はないかと模索していたころ
近所の子供がインラインスケートをガラガラやっているのを見て、ふつふつと
沸いてきた・・・
「インライン・・やりてぇ〜!!」


思い立ったらディスカウントストアで、家族4人分のインラインを買っていた。
子供のはオモチャのガラガラ言うやつ・・・
僕のは、ディスカウントストアの廉価版のモノ・・・
それでもウィルがけっこうまわるやつ・・・

夫婦で滑ればとても中の良い夫婦を演出できるのだぁ〜

これまた好都合なことに、近所の公園にはインライン専用のコースがある!!
履いてみて始めて感じた・・・。
足首が固定され、デブった体を支えるにはちょうどいい!!

そして1999年、TECNICA FR-ME・・・を購入。



やっとバッククロス(みたいなもの)ができるようになった。
2001年には娘とカミさん向けにFILA・・・・を購入。
2003年11月息子へローラーブレードを購入。

ヒマを見つけて家族で滑っています。

運動!運動!

運動の後のビールがウマい!! ・・・これじゃダイエットにならないな・・・・。
夢はニューヨーク100キロマラソン!  なんつって・・